2009.08.02 | kiwa
夢園 2
「……なのか」
「さあな。話を聞く限りは夢遊病じゃないかとは思うが、現場を見たわけでもないから断言はできんな」
少し離れたところから、聞き慣れた声が微かに聞こえては遠くなっていく。すうっと浮上した意識はまた次第に散漫になり、そこに誰が居るのかも分からないまま、あたしの身体はぴくりとも動かない。まるで全身が石にでもなってしまったかのように、ひどく重かった。
「ただでさえ、ユメミは月光のピアスなんて現代科学では解析出来ないものを着けてるんだ。そのせいだと言われれば、医学なんて何の役にもたたんさ」
「ピアスのせいだと?」
「ユメミの場合あいつの体に起こる全ての現象において、医学だけでは計りきれないという意味だ。あのピアス自体が不思議な力を持っているし、他の聖宝との兼ね合いでその状態も変わってしまうんだろう?」
「……月光のピアスが現時点で他の聖宝に反応しているというのは考えにくいな。オンディーヌの聖衣以上に相性の良い聖宝は存在しないし、あれは今日本には無い」
「だとすると、本当に純粋な夢遊病か……。今までの症例を考えると可能性は低いと思うんだがな」
ふうと小さな溜息が聞こえて、微かな衣擦れの音が静かな室内に響いた。
「まあ何にせよ、しばらく様子を見たほうがいい。これが続くようならうちの病院に連れてこいよ」
「そうだな……」
「心配だろうから、夜はこっちで面倒みてやったらどうだ? 行き先がここなら最初から目的地に置いておいてやればいい。向こうの親御さんにもこの状態を説明すれば分かって貰えるだろ」
「ああ、そうしてみよう。早朝から悪かったな、冷泉寺」
「いいよ。ああ、足の治療はしておいたけど、切り傷と擦り傷が多いからしばらくは痛むぞ。一日一回、風呂上がりにでも消毒して包帯を巻き直すように言っといてくれ」
「分かった」
「ったく、裸足で砂利道なんか歩くもんじゃないな。皮膚に食い込んだ砂粒取るのがどんだけ大変だったか……、ピンセットで一粒ずつだぞ。気が狂いそうだった」
(何、を……、話しているの?)
誰かが近くで話しているのに、まるでそれが外国の言葉であるかのように理解出来ない。ぼんやりと霞がかった言語中枢が考えることを放棄しているのだろうか。
それでも、重い体は幾分か固さを解き始めていた。ずっと凍り付いたように動かなかった体が次第に弛緩していくのが分かる。凍てついた指先が少しずつ溶けていくような、そんな感覚。
(ゆっくりとなら、指先も動く……、なのに目蓋が、重い)
覚醒への最後の扉が開かない。そこに誰がいるのかを確かめたいのに。
「そう言えばレオン、進学先を迷ってるって?」
「……誰に聞いた」
「レオンとこの担任、空手部の顧問だからさ」
「ああ、そう言えばそうだったな……」
「随分悩んでる様だから、それとなく聞いてやってくれって頼まれたんだけど」
「相談にのってくれるのか?」
笑いを含んだ声が甘やかに響いて、その響きの残滓が鼓膜を揺らした。言語を理解しないあたしの耳には、ただうっとりとした感覚だけが残っている。
「のってやってもいいが、あたしじゃ役不足だろ。どうせ原因は仰々しい本家の親族会議あたりだろうしな」
「ご名答。まあ今月中には決める」
「そうしてくれ。あたしもいい加減顧問に泣きつかれるのは面倒だ」
ごつい熊に拝み倒されてみろ、むさ苦しくてかなわんと笑い声がして、あたしの意識は急激に浮上していく。深海から浮かび上がる小さな泡のように、こぽりこぽりと揺れながら。
あたしはふるりと睫毛を揺らして、ゆっくりと目を開いた。
「ユメミ? 起きたか」
「……鈴影さん、と、冷泉寺さん?」
未だ焦点の合わないかすんだ視界に、見慣れた顔が優しく微笑む。
ベッドサイドの椅子に座ったままあたしの顔を覗き込むようにしていた鈴影さんの後ろで、冷泉寺さんが小さく口元を緩めた。
「そうだ。随分ゆっくりとしたお目覚めだな、眠り姫」
「……身体が、動かなくて」
そう言ってから、ゆっくりと腕を持ち上げたあたしは目の前でしっかりと指先を動くのを確認して、ほっと息を吐いた。
うん、指先も足もちゃんと動く。
「大丈夫か? 枕を宛うからゆっくりと身体を起こすといい」
そんなあたしの様子を見て、鈴影さんが気をつかって身体を起こすのを手伝ってくれる。あたしは申し訳なく思いながらも、けれど身体中に広がる鈍い倦怠感には勝てずにされるがままにベッドヘッドにもたれ掛かった。人心地ついて大きく息を吐き出すと、ふと自分が居る部屋の不自然さに気がつく。
「ここ、鈴影さんのお家のゲストルーム……?」
「そうだよ。何度も泊まったことがあるだろう」
怪訝な顔をしているあたしに、鈴影さんは微かに眉根を寄せた。何かを確認するように冷泉寺さんを振り返り、冷泉寺さんがそれに応えて小さく頷く。
「ユメミ、昨日のことを覚えているか?」
鈴影さんが座っている椅子の背に右手をかけて、冷泉寺さんが真剣な顔つきであたしを覗き込む。あたしは小さく首を傾げて、昨日、と呟いた。
「学校の帰りに買い物をして、お夕飯を作って食べさせて、弟たちをお風呂に入れて、パパにおやすみを言って眠ったわ」
そして昨日の記憶はそこで途切れている。当然と言えば当然だろう、眠ってしまったらそこで一日は終わりなのだ。そして目が覚めればまた、次の一日が始まる。
そこでふと、あたしは大きな矛盾に気付いた。
「次の日?」
本当なら目を覚ますのは自分の部屋のはずで、でも今居る場所は間違いなく鈴影さんのお家だ。
見慣れたゲストルーム、鈴影さんのお家に泊まる時にはいつもここを用意して貰っている。ここが鈴影さんの私室と一番近いゲストルームだからだ。でも、何故今ここに居るのかが分からない。
呆然と呟いたあたしの様子に、鈴影さんと冷泉寺さんは一瞬顔を見合わせて戸惑った表情を見せた。
continued.