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07:強制 ある晴れた日の午後、「放課後に少し付き合って欲しい」と言われて軽い気持ちでオーケーしたのは、果たして間違いだったのか。 あたしは見たこともないような高級装飾品店のVIPルームで、次々と出てくる指輪を見つめながらぼんやりそんなことを考えていた。 キラキラ光るダイヤモンド、真っ赤なルビー、海の底のようなサファイア。七聖宝に填め込まれている宝石に引けを取らない大きな石が、どっかりとプラチナの台に乗って、ビロードの敷布の上で輝いている。 た、高そう……。 触るのですら躊躇われる神々しさに、あたしは座り心地の良い革張りのソファの上で後ずさりして身体を離す。下手して皮脂でも付けて、曇ったりしたら大変だわ。 しかしそんなあたしの思惑をよそに、鈴影さんは手袋を着けることもせずに真剣な顔でいくつも並んでいる指輪を吟味している。どれか買うつもりなのかしら……、もの凄い値段がしそうなものばかりだけど。そんなことを思いながら、あたしは鈴影さんの横で遠目にキラキラ輝く石を眺めている。 「このダイヤの産地は、ボツワナ?」 「さようでございます。カラーはD、クラリティーはフローレス、カットはエクセレントの一級品でございます」 鈴影さんは店員さんに借りたスコープで表面のカットをじっくりと眺めて、小さく頷いた。 「クラウン部のカッティングも美しい。このグレードのものを何点か出してくれ」 「かしこまりました」 白髪交じりの髪を綺麗に撫でつけた初老の店員さんが深々とした礼をして部屋を出て行くと、鈴影さんは優しい目であたしを見て、 「どれでも好きなものを選ぶといい」 と言った。 あたしは何のことか分からずに、緩く首を傾げる。何を選ぶと……いうのだろう。ま、まさか。 鈴影さんは流れる髪をさらりと揺らして、涼しげな目元で微かに笑った。 「婚約指輪だよ」 「まさか、これ買うつもりなの!?」 婚約指輪という言葉より、この大きな宝石の付いた指輪を買うつもりだということに驚いて、あたしは思わず大きな声を出してしまい、慌てて両手で口を塞いだ。丁度トレーを持って帰ってきた店員さんが、そんなあたし達を見てにこにこと笑っている。あたしは恥ずかしさに顔を真っ赤にして、思わず俯く。 「石のグレードは決めたから、後はユメミの好きなデザインのものを選ぶといい。気に入るものが無ければオーダーメイドにしよう」 俯いてしまったあたしの髪を柔らかく撫でて、鈴影さんは笑いを滲ませた声音でそっとあたしの耳元で囁いた。あたしは何故か自分も小声になって、鈴影さんの制服の袖を小さく引いた。 「あ、あの。こんなに大きいものじゃなくていいんだけど……」 むしろ普通のサイズが良い、と慌てて言い募る。 だってこんなに大きなダイヤの付いた指輪、いくら婚約指輪だって言われても恐れ多くて……。何ていうか、もうちょっと小さくて気軽に着けれるものの方がいいに決まってるわ。 「高価なものをと思ってくれるのは嬉しいんだけど、何にでも分相応というものがあるのよ。あたしには大き過ぎるわ」 緩く首を振ってそう言うと、鈴影さんは少し驚いた表情であたしを見ていた。 「なぁに?」 向けられる視線の意味が分からずに、問い返す。鈴影さんはその驚きを微かな吐息で消化して、形の良い唇を微かに持ち上げる。 それは、今までの自分の価値観を正面から突き崩されたとでも言うような不思議な表情だった。 「こういった宝飾品の宝石は、大きい方が嬉しいものではない?」 どこか確かめるようにそう言った鈴影さんは、あたしの目を真っ直ぐに見つめて囁くように問い掛ける。あたしは少し笑って、目の前の指輪をひとつ取り上げた。 「宝石は大きければ大きい程嬉しいって言う人も多いけど、あたしはそれが自分に似合うものであるかどうかの方を大切にしたいと思うのよ」 そう言って、そっと薬指に填めた指輪は余りの石の大きさに、あたしの指には余りあるものだった。どちらかというと細めの指に、ゴロンとしたダイヤモンドはいやに不格好で、あたしはその指を苦笑いしながら鈴影さんに見せる。 「ほら、ね。見ている分にはとても綺麗だけど、着ける分にはあたしには似合わないわ。鈴影さんから貰えるなら、毎日だって着けていたいから、もう少し小さなものがいいの」 「……よく、わかった。そうしよう」 そう言って鈴影さんは、何も言わずに待っていてくれた店員さんにもう少し小さなダイヤの指輪を用意してくれるように言い、ふぅと大きな吐息を吐いて座り心地の良いソファにゆったりともたれ掛かる。 「ごめんなさい、折角選んでくれていたのに」 あたしは何だか申し訳なくなって、ソファに沈み込んだ鈴影さんの横顔を覗き込む。 「いや、オレが先走り過ぎたよ。ユメミの意見もちゃんと聞くべきだった、すまない」 「ううん、本当はすごく嬉しい。婚約指輪だなんて、貰えると思っていなかったから」 緩く首を振って答えた鈴影さんに、あたしは照れながらそう本心を吐露した。あの夏の庭でプロポーズされてからずっと、あれは本当は夢だったのではないかと思い続けていたからだった。甘美な記憶はその余りの甘さに現実と虚構の境目を曖昧にし、又自分自身の自信のなさが更にその思いに拍車を掛けた。そんな幸せなことがあるわけがない、全ては夢なのではないかと。そんな風に思っていたのだった。 あたしは早晩指輪が填るだろう薬指をそっと撫でながら、愛しい思いに胸を高鳴らせる。薬指に指輪が填れば、あたしはいつでもそこに鈴影さんを感じていられるだろう。確かにそこに在る感触に、いつも安心していられるような気がする。 全てが夢だなんて、思うこともなくなるだろう。 「ささやかなものでいいの。鈴影さんから貰えるものなら、何だって」 「ユメミ……」 鈴影さんはその涼しげな目元に煌めく光を湛え、あたしの頭を引き寄せた。あたしは小さく笑って、鈴影さんの口端に軽く唇を寄せる。 「大好きよ。……あたしを幸せにしてね、旦那様」 「勿論。早く幸せな家族が増えるといいと、願っているよ」 あたし達はそう言葉を交わして微笑み、まだ見ぬ未来に思いを馳せる。婚約指輪を買いに来ただけなのに、こんなことを思うのは早過ぎるかしらと呟くと、鈴影さんは小さく肩を竦めて、きっと近い将来のことだよと笑った。 |